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台湾民主国の国旗

台湾民主国の国旗

L 310cm × W 260cm , 1908年

西暦1895年、清朝は日本との間で馬関条約(下関条約)を結び、台湾、澎湖を日本に割譲しました。台湾の士紳は調停に決定撤回を求めさまざまな方法を講じましたが、清朝は日本に再び戦争を仕掛ける口実を与えることを恐れ、台湾における後の動向は清朝と関係はなく、国内の役人に台湾と関わることを禁じました。このため台湾は清朝と無関係であることを示すため、別の名目で直接外部に支援を求めるしかありませんでした。



1895年5月25日、元台湾巡撫の唐景崧は、21発の礼砲のなか総統に就任しました。台北城内には油彩で描かれた長さ3.1m、幅2.6mの藍地黄虎旗が掲げられました。「台湾民主国」が誕生したのです。しかし、期待した列強による干涉は発生せず、日本軍はすでに台湾本島に上陸しており、十日後、唐景崧は慌しく台湾を後にしました。残された規律のない兵士らが略奪や放火、殺人をほしいままにし、「台湾民主国」の象徵だった藍地黄虎旗は日本軍の戦利品となりました。



台北城が陥落した後、抗日の役割は次第に台湾各地の豪紳義勇らが担うようになりました。五ヶ月にわたった双方の血戦の五後、日本軍は台南を攻略し、台南を守っていた抗仏の名将・劉永福も日本軍の入場を前に悄然と台湾を後にしました。10月21日、日本軍は台南城に入城し、台湾全土の平定を宣言しました。「台湾民主国」は、正式に姿を消しました。藍地黄虎旗も日本に運ばれ、皇宮の「振天府」に収蔵されることになりました。1908年、台湾総督府博物館は宮内省の同意を得た後、画家の高橋雲亭に依頼してオリジナルの旗を複製しました。完成後、台湾総督府博物館がコレクションし、展示されることとなりました。今日で百年以上を数え、本館で最も古いコレクションの一つといえましょう。