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清 徐澍 台湾番社図:賽戲

清 徐澍 台湾番社図:賽戲

1820年 , 清朝時代

本図は「台湾番社図」といい、合計4幅からなり、清の徐澍が1820年12月(清代嘉慶年間25年)に描いたものです。内容は清代早期の台湾西部における平埔族の各種風俗と生活の状況を描いています。何勛尭の『館蔵書画選輯』によると、徐澍は浙江省武義の出身で、字を顕沢といいます。本「番社図」は長幅の立軸の形式を採っています。四軸は内容ごとに十の主題に分かれます。第一幅は川渡り、魚捕り。第二幅は屋根の棟上、織布。第三幅は食物を保存する禾間、舂米搗き、社師。第四幅はゲーム、木の実採り、鼻蕭(鼻笛)です。



風格や形式について言えば、徐澍の「台湾番社図」は清代早期に描かれた一系列の平埔族「風俗画」の一種です。この種の当時台湾西部の平埔族で暮らしていた各種風俗を描いた「番社風俗図」は、「格套」の方式で当時の漢人の目に映った「番民」の各種風俗習慣を描いています。今日に伝えられているこの種の「番社風俗図」は、異なる時代に描かれた異なるヴァージョンのものもありますが、各版の内容は大同小異で、互いに模写していたためだと認識されています。このうち、名の知られたヴァージョンは1744年、満洲人(旗人)巡台御史の六十七が絵師に描かせた「六十七番社采風図」です。これらは当時、台湾の風俗や人情を記録する「風俗画」として描かれ、今日では18世紀中葉の台湾住民の生活を知る上で重要な画像史料となっています。