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1897年に台湾総督府はアヘン専売制度を定め、1899年に専売局台北南門工場を建て、樟脳とアヘンの実験及び生産を行なう重要な基地となっていました。1901年に南門工場に改名し、日本時代の台湾で樟脳を加工する唯一の公営工場である。戦後の1952年に台湾省樟脳煉製廠に改名し、1956年にまた台湾省樟脳廠に改称しました。1967年に民営化され後、工場が廃棄されました。1974年から工場の土地は次々に処分され、東側は中央銀行に与え、北側は財政部に、南側は臺開信託らに譲り、新しいビルを建設しました。

現存する樟脳倉庫(以下「紅楼」という)、品物倉庫(以下「小白宮」という)、四百石の貯水槽と一部の赤煉瓦塀は財政部の所属となり保存されているが、現存の面積は元の八分の一には及ばない。

1998年、南門工場は内政部に国定古跡と指定され、2006年に国有財産局により台湾博物館に与えられ、首都博物館計画の一環となっています。古跡を修復し展示館にする上に、収蔵倉庫と事務室とを兼ねる新しいビルを建て、庭の景観に囲まれる洗面所を造りました。古跡修復と新築の設計は詹益忠建築事務所に任し、営造工事は東盟營造株式会社に委託します。展示スペースの設計は陳順惠建築士事務所と空間種子室內裝修設計株式会社に依頼します。付属洗面所と景観デザインは寬和建築士事務所に託し、工事は佳恩營造に委託しました。

紅楼は1914年に建設され、赤煉瓦と鉄筋コンクリートの組み合わせた二階建て、総督府技師の土生瑾作が設計しました。紅楼の前には鉄筋構造の差し掛け屋根の荷造り場があります。赤煉瓦の外壁に白い石を帯状にめぐらせるデザインがあり、「辰野式」と呼ばれます。小白宮は総督府技師の野村一郎が設計し、台湾に珍しい明治時代の石造建物で、外観は灰白である。その壁は外層の38cmの唭里岸石と内層の11.5cmの赤煉瓦から組み合わせされたものである。使用される唭哩岸石は取り壊された清朝の台北府城の城壁で、木山層の石英砂岩で、士林の唭里岸と大直と北勢湖周辺から産出したのである。

四百石貯水槽は二度も工場で起きた火事のために1929年に建てられました。貯水槽と小白宮との間には久須乃木大神、開拓三神、大山祇命と北白川宮能久親王を祀る久須乃木神社があった。工場から排出された冷却水はここに貯蔵し、普段に掃除や灌漑用水に使われました。水槽の壁面は赤煉瓦で、底は鉄筋コンクリート造である。容量は400石(約72立方メートル)があるから、そう名づけられました。戦後は養殖の池にされ、深さ120cmであったため、深さ60cmの所にステンレス金網が設置され、敷地内の整地工事を行なう時に掘り出した礫をその上に置かれ、池の深さを約50cmに控えられています。かつて消防施設である事を記念するため、噴水口は消火栓に造形されました。

修復後の紅楼は接待及び展示空間として使われています。一階の北側は南門工場の歴史と樟脳産業の常設展示室で、二階は台湾産業史の特別展示室になっています。荷造り場は入り口で、休憩所と食事処を兼ねています。小白宮は多目的展示空間です。収蔵倉庫と事務室を兼ねる新築の一階の西側の三分の二は親子で楽しめる展示空間や公共サービス及び会議室に使用されています。構内全域は古跡風貌の保存と展示空間の調和の取れた設計で修復されました。